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闇の奥

2013年11月11日

しばらくデジタル作業が続き、今日もこれから問題解決せねばならず

気が重い。たまたまお気に入りから出てきたファイルが懐かしく

ざっと流し読みしました。ふむふむ、、、、、

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/pdf/jhk/J6-3-4.pdf

 

ハリウッド映画でお馴染みの 地獄の默示録 の種本、

映画の原題はアポカリプス。普段、滅多にきかないベロ噛みそうな言葉。

何年か前ハイチ大地震のときフュージーズのワイクリフ ジーンが祖国の惨状を

テレビの前で伝えたときアポカリプスと言った。彼は牧師の息子だったけど。

 

日本では岩波文庫の 闇の奥 の訳者が 「ホラー!ホラー!」という叫びを

「 地獄だ!地獄だ!」と訳しているから映画配給会社も 地獄の黙示録 という

タイトルにしたのでしょう。なぜ ホラー を 地獄 と翻訳するのかいろいろ理由があったのでしょうが

今は置いておきます。

僕の好きな日本の小説家は森鴎外と内田百けんぐらいで海外では海洋冒険小説家と言われる

ジョゼフ コンラッドです。

薄っぺらい文庫本の半分ぐらいまではよくある紀行文の類と思っていいいのかもしれません。

しょっぱな、昔からの海の仲間と語り始めるのがヨールの甲板上なんだけど帆の艤装の仕方で

帆柱が何本か立つ位置が決まり船の種類わけになってる。ヨールを遊覧船と訳してる本も見たことある。

翻訳とはそういうものなんでしょう。

 

後半はガラッと変わってどんどん謎が多くなっていろんな解釈ができるように作ってある。

 

カフカの 城 やドビュッシーの 牧羊神の午後 みたいに主のいない、調性を失った簡単に言えば

「神は死んだ。殺したのはお前たちだ。」 という世紀の作品はみんなこんなふうです。

答え、救いがない。

闇の奥 は内面描写、心理小説のはしりだそうですが そのころロンドン留学中でノイローゼの漱石は

日記で 闇の奥 を高く評価してる。同時にすでに狂人となって死んでいたニーチェの ツアラツストラを

読んで凄まじく憎悪罵倒してて、いかにもって気がします。

 

僕自身の謎解きジグゾーパズルは単純です。

闇の奥にいる人物と探しに行く人物は別々のキャラクターになってるけど実は一人の人物

自己分裂して自分が神になってしまったロマンチックな妄想と

過酷な経験を重ねてきた自分の肉体と本能という現実。

この二つのキャラクターが鮮やかに起っている。これ漫画塾の小池一夫さんの言葉。

 

それを物語る方法が心理描写のオンパレード。

人の内面などどうにでも解釈できるから謎は深まるばかり。

人気の 謎1は あれほど極悪非道に堕落した憐れな男になぜ主人公は以後も忠誠を誓おうとするのか?

謎2は 彼の許嫁を訪れなぜその最期を偽るのか?

二人が自己分裂した同一人物だと考えれば、いとも簡単に答えが出てしまう。

 

ヨーロッパ近代、

ドイツ音楽やフランス革命のロマンチックな熱情から自己崩壊してゆく過程で

奈落の底の深淵から這い上がるものは希。

自分の好みではあるのだけど、知ってる限りではエマソン、ニーチェそしてこのコンラッドだけ。

彼らはロマンチストからリアリストに変身脱皮してサバイバルした。

 

どうやって変身脱皮したのか?

エマソンは畑にしゃがみこみ草を取る農民、船底に膝ついて櫂をこぐ漁師のところへ行って、

ニーチェはスイスの山中でぶどうを栽培するおバーさん達に”せんせーい、これ持って行きなっシェー”

と呼び止められ ” 哲学者たるものこーでなければ ” という時のあの喜びよう、これ以上明るい

ニーチェの文章見たことない。多分、重荷で泡を吹き血筋をたてている駄馬に抱きつくように

市井の民のところへおりていき、コンラッドは女性の前で嘘をつたえる。

 

三人とも神にひざまつくように現実のこの世界にひざまつく、そこには庶民が生きている。

日本では以前リンクした講演の中で日下公人さんが庶民への信仰告白をしてます。

瀬戸内海文化圏とかいって京都、東京とはちがう色合いです。

 

上に貼った研究論文は観念で思考する人たちのたどり着いた、業績です。

庶民の感覚でいえば

小学校の校庭に立っていた二宮金次郎少年を思い浮かべればいいだけのことです。

From → 日々の断想

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